シリーズでお伝えしている「あのニュースの今」、4回目は7月豪雨で大きな被害があった酒田市。災害から約5カ月。復興へ進む被災地は小さな希望と大きな不安の中、厳しい冬を迎えている。
12月8日、酒田市の大沢コミュニティセンター。
「うん、うめぇ」
みなさんが食べていたのは、特製のカレー。
この日、7月の大雨以降初めて住民たちによる「地域交流会」が開かれ、久しぶりのにぎやかさに笑顔があふれていた。
(住民)
「前はみんなでこうやって招待したり、今までずっと空いていたから楽しく顔を合わせました」
「大雨の後はなかなかこういうイベントはないかなと思っていたので、久しぶりにわいわい、大沢がまた活気づいていくような気がしてうれしい」
地域の子どもたちによる太鼓の演奏や、復興を進める様子を記録したVTRの上演などが行われた今回の交流会。
主催者の1人で住民の阿部彩人さんは、災害を受けて希薄になった「地域コミュニティの維持」も、会のねらいの1つだと話す。
(会を主催した阿部彩人さん)
「被害が大きくて引っ越さざるを得ない人も多くいる中で、みんなで集まって笑顔になれる瞬間は必要だと感じていたので、住民が1つになれるイベントになれば良い」
ことし7月の大雨で甚大な被害があった酒田市。
当時86歳の女性1人が亡くなり、住宅の被害認定は全壊13棟を含む793棟。道路や河川などの被害は82カ所、総額で56億円を超えている。
これを受け酒田市は11月、向こう5年間に渡る「復旧・復興方針案」を作成し、1月の本策定を目指して、現在、住民との意見交換をしている。
(酒田市・矢口明子市長/11月29日会見)
「被災者が被災前の当たり前の生活を取り戻すと共に、単に被災前の状態に復旧することに留まることなく、市民が今後も住み続けたいと思える街を目指して復興に取り組む必要がある」
被害が大きい地域の1つ、酒田市下青沢に住む農業・相蘇弥さんは、12月に入ってもまだ家の後片付けをしていた。
(相蘇弥さん)
「大工さんまだ入っていない。とりあえず自分でやれる所、目についた所だけ」
相蘇さんの自宅は、そばを流れる荒瀬川がはん濫して1階部分が水に浸かり、大きな被害があった。
敷地内にあった小屋も流され、農機具のほとんどが使い物にならなくなった。
(相蘇弥さん)
「自宅を直して住んでいきたいが、どこまで直せるか全然わからない。地道にやるしかない」
あの日から、まもなく5カ月。
同居していた両親を市営住宅に仮住まいさせ、用心を兼ね、自宅の2階に1人で住んでいるが、修繕は進んでいない。
(相蘇弥さん)
「山小屋にいる感じ。少しは落ち着いたかなと思うが、先が全く見えないのは変わっていない」
そして、農地の復旧も大きな悩みだ。
(相蘇弥さん)
「刈る予定だったつや姫です」
機械を入れられず、刈り取り出来ないまま冬を迎えた「つや姫」。
相蘇さんが関わる7町歩ほどの農地は、全て土砂や流木の被害を受け、3棟あったハウスも全て流された。
被災農地について市は、3年をめどとして、2026年度までに順次復旧させる計画だが、専業農家の相蘇さんにとってはとても長い時間となる。
(相蘇弥さん)
「向こうの山の方もあるので果たして3年で大丈夫なのかな...と。3年まで自分が持ち堪えられるのかなという不安の方が大きい」
また、農地の復旧費用には大部分で国や市などの補助が受けられるが、利用する農家ごとに一部「負担金」が生じる。
2025年以降の収入の見通しも立たず、「支援制度」や「融資」の説明を聞いても、返済の負担が頭をよぎり、思い切って踏み出せない現状があった。
(相蘇弥さん)
「農地が全部やられているので、それで申請しろと言っても、機械を買っても使えない状態。復旧するまでは農業収入ゼロなので、その支払いはどうすれば良いのか。農家一本だと簡単にお金を貸してくれるところもない」
酒田市内の農作物被害は、調査中の大沢地区を除き、5319ha・34億6400万円(10月17日時点)。
農地や土地改良施設の被害は385件、41億8600万円に上る(9月末時点)。
被害が大きい農地や農道は、12月11日に国による「災害査定」が終わり、今後、公費を用いた復旧が進められるが、本格的な工事の開始は2025年春以降の見通しだ。
集落の土砂の撤去が終わった酒田市北青沢地区には、12月14日、しんしんと降る雪の中で川のせせらぎだけが響いていた。
被災した多くの住民は、いま、仮住まいなどで集落を離れている。
(五十嵐君子さん)
「もうさみしいばかり、雪降って。この川だよの。小屋渕川、きれいな水で、うそのようだ...」
この地区に住んでいた五十嵐君子さん。
大雨で小屋渕川からあふれた水や土砂は、五十嵐さんの自宅を含む集落の家々を広い範囲で襲った。
被災直後の五十嵐さんは、かろうじて出入りが出来た窓から家の中に入り、思い出の品や貴重品などを運び出していた。
(五十嵐君子さん)
「あの時はこっちから...。窓のすき間から入ってきた。けっこう土砂がいっぱいだった」
その後、ボランティアなどの協力で土砂は撤去されたが、母屋は「全壊」と診断され、解体することを決めた。
「しめ縄、毎年代えていたんですよ」
この日、兄と一緒に古いお札などを取りに戻った五十嵐さん。
現在は、被災者向けに提供された県営住宅で1人暮らしだが、入居期間には制限がある。"その後の住まい"をどうするのかは、自分で考えなくてはならない。
(五十嵐君子さん)
「これからここに住めないとなれば、安住の地を求めて探さないといけない。仮住まいが終わるまでに下準備しないと、その時に慌ててやってもどうしようもないし、間に合わない。年齢も1年2年と増える」
「その時計ずっと動いてるよの」
止まることなく進んで行く「時間」。
復興を見届けたい気持ちはあるが、収入や災害への不安に加え、集落を離れることを決めた知り合いの姿を見ると、心が揺らぐ。
(五十嵐君子さん)
「今は不安が7割、希望が3割。それが逆転すれば良いが、来年は半々ぐらいまで近づけていきたい」
災害発生からまもなく5カ月。
被災地・酒田は復興への希望と生活の不安が入り混じる中、本格的な冬を迎えている。
酒田市の矢口市長は、「被災者の当たり前の暮らしを取り戻す」としているが、まだ長い時間がかかりそう。五十嵐さんが話していた「今は不安7割、希望3割」という言葉はとても重い。
これを一刻も早く逆転させることが、行政に課せられた「2025年の大きな課題」と言えるかもしれない。
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