追悼し復興を願う式典は米沢市でも行われた。市民や避難者たちが「震災の記憶を風化させない」と誓いを新たにした。
福島第1原発の事故直後から、米沢市は福島からを中心に多くの避難者を受け入れ、ピーク時には約3900人が避難生活を送った。
復興を願う式典は震災の翌年から続いていて、2025年も多くの市民や避難者などが会場を訪れ、献花台に花を手向けていた。
ある夫婦は、震災直後に福島・富岡町から避難し、以来14年間、米沢市で暮らしている。
(富岡町から避難)
「忘れないですね、やっぱり。地震のすごさとか、あっという間に周りの人と別れてバラバラになったというのはちょっと寂しいですけど、ここまで乗り越えてこられたことに感謝しています」
「自分たちはたまたま命をもらっているけど、命を亡くした人はいつまでも同じ歳で止まっている。一緒に、心の中であたためて生活したい」
式典では、地震が発生した午後2時46分に出席者全員で黙とうし、犠牲者と被災地への祈りを捧げた。
県によると、2月1日時点で県内には1159人が避難していて、山形市が最も多く389人、次いで米沢市が292人。
県が2024年に行ったアンケートでは、避難者の6割を超える人が「山形に定住したい」「もうしばらく山形で生活したい」と回答している。