後継者不足などにより、全国で「街の模型店」が姿を消す中、新たに開業を決意した山辺町の男性がいる。新たな船出を決意した理由は、子どもの頃に感じた「ワクワク感」。
山辺町の住宅街に17日オープンするプラモデルの専門店「ホビーショップ・ロックモデル」。先月、完成した建物の中では棚や商品を搬入する準備が始まっていた。
(古頭康弘さん)
「ここの真ん中のところにはプラモデルを作るための工具・用具がそろう予定。こちらの棚には塗料が並ぶ」
代表を務める古頭康弘さん51歳。今年3月、一念発起して夢だった模型店の開業を決意。長年務めた会社を辞め、自宅の敷地内に店を構えた。
(古頭康弘さん)
「(周囲から)びっくりされた。この時代に模型店なんて大丈夫なのか、という話も出たりしたが、みんな応援してくれる人が多いのでありがたく思っている。」
小学生の頃からプラモデル作りに夢中だった古頭さん。オンラインゲームなど趣味の多様化や、大手ネット通販などの影響で、県内でも模型店が次々と廃業していく中、少年時代に心を躍らせていた場所が消えていくことに寂しさを感じていた。
(古頭康弘さん)
「子どものころは山形市内とかそれ以外のところにもたくさんあった。自分たちが子どものころに通った店が心に残っているので、こういう店が山形からなくなることが寂しいことなので自分がやろうと思って」
先月28日、多くの子供たちに親しまれてきた寒河江市の模型店が、50年の歴史に幕をおろした。街の模型店として、市の内外から多くの客が訪れ親しまれていたが、社長の小関正吉さんは、3年前から耳が聞こえにくくなり、後継者もいないことから、廃業を決めた。
(小関正吉社長・75歳)
「いろいろなブームがあった。スーパーカーブーム、ミニ四駆ブーム、ガンダムブーム、いろいろあった。寂しさはない。かえってうれしい。肩の荷が下りた。古頭さんがやってくれるので」
閉店した翌日、店には、片づけを手伝う古頭さんの姿が。
店内に所狭しと並べられたプラモデルの山。箱を開けて、パーツを見ながらどう作ろうかと心躍らせた思い出。古頭さんが客として訪れた去年夏、小関社長から「そろそろ店を閉めたい」と打ち明けられ、その瞬間、「誰かに店を続けてほしい」ではなく、「自分がやるしかない」と決意したという。
(古頭康弘さん)
「1時間も2時間もいろんなプラモデルを眺めながらどれを買おうか、どれを作ろうか悩んでいる時間がとにかく楽しかった。インターネットでも買える時代になっているけれども、こういうのが良くて無くしちゃいけないという思いから自分で店を受け継ぐと言うか、こういう店の業態を続けていきたい」
古頭さんは、小関社長が大切に使い続けて来たガラスケースや在庫の商品を買い取らせてもらい、新たな場所で「街の模型店」の歴史を受け継いでいく。
(小関正吉社長)
「うちは後継者がいないので古頭さんが後継者としてやってくれるといったので嬉しく思った。(商品には)愛着があります。やっぱり50年という長きにわたってやってきたので一つ一つ吟味して仕入れたので愛着がありますね」
オープンまで3日に迫った14日。店を訪ねると、車や飛行機、戦車などたくさんのプラモデルが並び、古頭さんがオープンに向けた準備に追われていた。
(古頭康弘さん)
「ノブさんから引き継いだ商品の戦車、バイク。ここのガラスケースもノブさんから全部引き継いだもの。今後、何年やっていけるかという不安は正直ある。ここまで来たら後戻りはできないので前に進むしかない。程よく自分の身の丈に合った商売ができればいい」
店をたたんだ小関社長も、閉店以来ほぼ毎日手伝いに訪れ、古頭さんを支えている。
(小関正吉社長)
「これは全部うちの商品でした。こうやって受け継がれるのはうれしい。プラモデルも喜んでいると思う。頑張って愛される模型店になってほしい」
趣味を仕事にする第2の人生を歩み出した古頭さん。プラモデルを作る楽しさをこれからも多くの人に知ってもらいたいと、期待に胸を躍らせる。
(古頭康弘さん)
「実車にどれだけ近づけられるか自分なりに改造してみたり、完成まで全てが楽しい。今模型を作る人の年齢は限られ大人がメインになってきているが、少しずつ山形県の模型人口を増やしていきたい。気軽に簡単なものからでいいのでどんどん作ってもらいたい」
古頭さんの「ホビーショップ・ロックモデル」は、17日にオープンする。